東口善一

地域に新しい風を迎え入れる、隼の“仲人”。


隼Lab.の“隼(はやぶさ)”は地域の名前です。隼Lab.が少しずつ地域の拠点としても馴染んでいく中で、先陣を切って隼Lab.に関わる一人一人と関係を結んでいる方がいらっしゃいます。隼で育ち、現在もこの地で暮らしながら農業を営んでいる東口善一さんです。今年7月から1ヶ月半、隼Lab.でインターンをした松本凌が、お話を伺いました。

Text:松本凌
Photo:諸岡若葉

 

定年退職を機に始めた、隼での“農業”。

隼Lab.のインターン生である私が、東口さんと初めてお会いしたのは、隼Lab.のコワーキングスペースです。隼の住民の方がコワーキングスペースに立ち寄られる印象があまりなかったので、農作業を終えた格好でコワーキングスペースに入ってこられる姿をみて、正直意外に感じました。東口さんの名前は、隼Lab.に関わる皆さんからもよく聞いているので、きっといろんなことに取り組んでいらっしゃるのだろうな、と気になります。

まずは、どんな農業をされているのか教えてください。

米作りと野菜作りですね。米はコシヒカリなどのほかに、酒屋さんとの契約栽培というかたちで酒米も作っていて。幻の酒米と呼ばれるような貴重な品種や、今は作ってないけど世界でも有名な日本酒の獺祭に使う米も栽培したことがあります。野菜も、美味しくて体にいいものを作りたくて。人に食べてもらって美味しいって言ってもらうのは、非常にありがたいなあと感じてます。

取材をさせていただくにあたり、東口さんの畑にお邪魔させていただきました。ご自宅のすぐそばにある畑は、隼Lab.からも歩いて数分の距離です。メロンやスイカ、大豆にナスやトマト、ピーマンなど様々な種類の野菜が育っていて、夏の旬を迎えた畑はとても色鮮やかでした。お土産にといただいた野菜は、どれも味が濃く、その美味しさに驚きました。

こだわっているのは、農薬を一切使わないこと。化学肥料もできるだけ使わない。去年は竹チップを土壌改良剤として土に混ぜ込んでたけど、今年は野菜の植わっている畝のとこにずっと敷いてやってますね。一般的な野菜の他には、豆や、果物なんかも育てています。豆だったら白大豆や黒大豆を作っています。それを麹屋さんに出して、味噌用に使ってもらって。メロンやスイカも、今年は三種類ずつ。一つ一つの量は多くないけれど多品目でいろんな種類を作ってます。

無農薬での野菜作りは手のかかることも多く、とても難しい栽培方法だと思います。東口さんはいつから今のような農業を始めてこられたのですか?

定年を迎えるまでは、八頭町役場で公務員として働いていました。仕事では有機農業に取り組む仕事もしてたんですよ。八頭町で採れたものを何とか知ってもらいたいと、都会に出向いて話をさせてもらうこともありました。都市部と提携して、鳥取の農産物を都市部に住む人たちに届けたり、八頭町で採れたものを東京に持って行って試食会や販売を行ったり。少しでも農家さんに収入が出るように何かできないかと、いろんなことを考えながら仕事をしていましたね。

60歳で定年を迎えた時、今から全く新しい仕事に就くよりも、自分で好きなことができたらいいなと思ったんです。大げさかもしれないけれど、健康の元である食を見直すということにこだわったことをやりたいと、ずっと思っていたので、定年を機に農業をはじめました。

 

自分が好きなことに挑戦して、諦めずに続けたい。

東口さんは個人の畑だけでなく、昨年3月には、主にシイタケ栽培などを行う株式会社隼えにし(以下、隼えにし)を仲間5人で設立されたと伺いました。個人の畑だけでなく会社を立ち上げられたのにはどんな思いがあったんでしょうか。

隼えにしを立ち上げたのは、隼に住む自分たちが「起業する」ということへの挑戦と、少しでも地域に貢献できればという思いからです。

隼Lab.ができて、ここで起業する人がいたり、いろんな会社の人がこの地域に出入りするようになりました。でも、まだ地域の人が直接起業に関わる機会はなかったので、隼の地域の中で一社くらい起業してもいいかも、と思ったんです。

それから、農業で儲かる仕組みを作って、高齢者を含む地域の住民たちの生きがいにもつながればという思いもありました。生きがいというか、そういうことを考えることでみんなが元気になると思ったんですね。自分が地域のために役に立ってると実感できたら、地域も元気になるし、一人一人が輝くんじゃないでしょうか。隼えにしがそういう機会を作れたらいいなと思っています。

 

役場の仕事でも農業に関わってきたとはいえ、定年退職後、新たに事業として農業を始めることはとても勇気のいることだったのでしょうか。東口さんのその行動力の源は何ですか?

ひとつは、面白いこと、楽しいことをやりたいということですね。農業は儲からないとよく言われますが儲かるか儲からないかは別として、まずはそれが面白いし、やっていて楽しいからやる。もちろん少しは儲かったら励みになるけど、お金にだけにこだわるとなかなかやっていけないじゃないですか。途中で辞めて他のことに取り組むんじゃなくて、やるからには継続してやっていきたいという思いがあります。難しいこともあるけれど、最初から諦めずに自分が納得できるような方法を見つけたい。途中であきらめるのが一番嫌ですね。

実は、退職して好きなことをしている今の方が忙しいかもしれないです。
でも、嫌々してるんじゃなくて、自分が納得して感じる疲労感なので全然苦ではなくて、むしろ楽しいです。

 

住民の一人として、若い世代にもチャンスを託す。

自らの農業も「楽しい」から続けられてきたと話す、東口さん。農業だけではなく、隼Lab.の立ち上げをはじめとする、地域の新しい動きにも積極的に関わっていらっしゃいます。

ここで、隼Lab.にまだ来たことがないという人のために、隼Lab.周辺の様子を少しご紹介します。隼Lab.がある鳥取県八頭町の隼には、SUZUKIの“隼”ライダーたちの聖地としても知られる、隼駅があります。

隼Lab.からもほど近く、徒歩2分ほどの距離にある隼駅。その目の前にあるのはHOME8823(ホームハヤブサ)です。今年5周年を迎えたHOME8823は、使われなくなっていた、旧農協の支店を改装した飲食店です。

また、隼地区にはHOME8823と同じく株式会社トリクミ(以下、トリクミ)が運営する場所が、もう一つあります。古民家を改装したゲストハウス、BASE8823(ベースハヤブサ)です。BASE8823は、今から3年半ほど前に、聖地“隼”を目指して全国からやってくる隼ライダーの宿泊場所としてはもちろん、広いデッキや芝生部分を使ってのBBQなど、地元の方も楽しめる拠点として生まれました。

これらを運営してるトリクミは、八頭町出身の20~30代の若者を中心とする会社です。地域に若い担い手が加わり、HOME8823やBASE8823など新しい拠点が生まれ始めたことが現在の隼Lab.の立ち上げにもつながっています。

 

東口さんは、トリクミをはじめとする地域の若い世代ともつながりを持ち、地域を盛り上げる同じ仲間として一緒に動いていらっしゃいます。

今につながる大きなきっかけになったのは、HOME8823の立ち上げです。その時はまだトリクミも会社ではなくて、八頭町出身の若者たちの有志の集まりでした。でも、彼らが故郷である鳥取県や八頭町を何とか盛り上げたいと、色々と取り組んでいることは把握していました。自分も、いつかはそういう熱い思いのある人たちと一緒に何かできたらいいなと思っていたので、今から5年ほど前に、隼駅前の施設を活用して地域の立寄りどころにしようというプロジェクトが持ち上がった時に、彼らに声をかけたんです。そこから地域の人たちとも座談会やワークショップをして話し合いを重ねて、今のHOME8823が開業しました。

今でこそ、地域のみなさんに愛される場所になっていますが、HOME8823を立ち上げる当初、地域住民の方々はどんな反応でしたか?

「こんなところに飲食店を作って、本当に人が来るのか」と心配するいう声がたくさんありました。私自身も正直、最初は不安も大きかったんです。でも、最初は遠目に見ていた住民の人にも、農作業の合間にもその格好のまま気軽にご飯を食べに入れる気軽さが徐々に浸透してきて、地域の御飯処として使ってくれるようになりました。今では地域の集まりでも使ってもらったり、夜は歩いて帰れる居酒屋としても、段々と利用してくれる人が増えてきています。

 

地域の住民としての立場と、柔軟な発想で地域に新しい風を吹き込む若者たちを応援する立場、そのどちらもを行き来しながら隼を見てきた東口さん。HOME8823をはじめとするこれまでの積み重ねは、2017年12月に迎えた隼Lab.のオープンにも繋がりました。

隼小学校は、隼にあるたった一つの小学校だったんです。それが閉校するということが決まった時は、やはり寂しいという気持ちが一番でした。隼小学校は校舎も築20年くらいなのでまだまだ使えるし、何より隼の住民にとって大切な場所なので、閉校は免れないとしてもなんとか、夢のあるかたちにできればと思いました。地域住民として自分も参加しながら、隼の地域外の人にも入ってもらって会議を重ねる中で、具体的に話を進めることになったのが隼Lab.プロジェクトです。

今年12月でオープンして2年が経ちますが、隼の子どもたちがいろんなことに挑戦できたりいろんな大人と出会える、夢のあるかたちに少しずつ近づいていると思います。大きく言えば世界に羽ばたく可能性もありますから、地域にとっても隼Lab. は誇らしい施設です。

東口さんと隼Lab.の関わりを、この1ヶ月半の短期間に捉え言葉にするのは、正直とても難しい作業でした。インターン中指導してくださった隼Lab.マネージャーの諸岡さんの言葉を借りれば、東口さんは「隼に新しい風を迎え入れる、風穴を作る人」です。ご本人に伝えればきっと、「大げさだ」と照れ笑いを浮かべるでしょう。しかし、東口さんが作った風穴は、今も多くの方々を隼に迎え入れています。

それはまず東口さん自身の人柄が出会う人々を惹きつけ、そのつながりが人と人、地域と人を出会わせている結果です。今では東口さんだけでなくその周りの住民も巻き込んで、隼には地域に新しい風を迎え入れる風穴が広がっています。

 

地域の“仲人”として、隼を子どもたちにつなぐ

地域の中で新しいことが始まる時に、そこに住む人たちの中に不安や懸念の声が上がるのは当然です。東口さんは一住民として、それらの声にも耳を傾けながら、同じように地域の外の人の意見も肩を並べて聞き、一緒に考える姿勢を崩しません。

私は、いろんな人との出会いが好きです。普段の生活だけでは、なかなかいろんな人と出会う機会が少ないと思います。そんな中で、隼Lab.に来ると普段絶対出会わない人と出会うことができますね。それに加えて私は、人と人を繋ぐ“仲人”のような役割をするのが好きです。出会った人たちの話を聴いて、自分や自分の周りにいる人とどういう関わり方ができるか、どう繋がったら面白いか、常につながり”を考えるようにしています。

役場職員として働かれていた頃と、引退して一住民として農業に取り組む東口さん。立場は変わっても、自分の故郷である八頭町や隼に対する思いは一貫しています。ずっとこの地域をみて来た東口さんですが、今後の隼に対してどんな希望を持っていらっしゃいますか?

年寄りが生き生きと楽しく暮らすところになってほしいというのが一つと、子供たちが夢を持てる地域になってほしいなと思ってます。

子どもたちに対して、地域から出ないでずっとここにいてくれた方がいいって言う人もいるかもしれないけど、私は地域から出ていろいろ勉強してからまた隼の良さに気付いて帰ってきてくれたり、離れてても隼のためになんかできないかと思ってくれる人になってほしいなと思いますね。隼も、ここで育った子供たちにとって、心のよりどころとか、ふとした時に思い出す場所であってほしいと思います。

今ここに住んでいる人たちと、将来大人になる子どもたちにも思いを馳せながら語る、東口さん。いろんな人とつながって農業を盛り上げていくことや、若い世代の人と新しいことに取り組むこと、それ自体が東口さんにとっての生きがいにもなっているように感じます。

隼Lab.をはじめ、地域に新たな拠点ができ、地域の外からも多くの人が隼を訪れるようになった今、そこで出会う人たちとの関係をその一瞬で終わらせず、誰に対してでも真摯に向き合うその姿が、東口さんと一緒に何かしたいと相手に思わせる魅力なのだろうと感じました。